一橋総研・オピニオン

日本、米国、インドのトライアングルで太平洋の平和と安定の構築を!

photo:鈴木壮治一橋総研代表  鈴木 壮治

習近平の野心

中国は、軍事・経済分野における強大化を進め、米国の相対的な力の衰えに勢いを得て、アジア・太平洋、さらにはユーラシアの「地政学的秩序」を変えようとしている。

アジアと欧州を結ぶ「一帯(シルクロード経済ベルト)一路(海上シルクロード)」は、ユーラシアにおけるエネルギー相互依存体制を実現するインフラ(パイプライン、港湾施設等)を構築し、欧州への中国の影響力を高めようとするプロジェクトである。

その資金を供与する役割を果たすAIIB(アジアインフラ投資銀行)は、中国主導で2015年12月25日に発足した。中国は「一帯一路」とAIIBにより、ユーラシアに中国主導の経済圏をつくり、その中で、人民元の還流システムを機能させようとしている。

ユーラシア経済協力連携を視野に据えた英国、ドイツ、フランスそしてイタリアなどのEU主要国がAIIBに参加した。欧州の主要国は、国際的な規則、標準づくりに長けており、中国と欧州の連携は侮りがたい。

そのような中国の欧州への食い込みに対して、日本はEUとのEPA(経済連携協定)との締結を目指しているが、EUはTPPを超える自由化を主張しており、交渉が難航している。

習近平は、世界秩序の多極化への流れの中で、ユーラシアから米国の力を削ぐため、南シナ海を内海化し、米国本土を攻撃できる弾道ミサイル搭載の戦略潜水艦を展開させ、米国の核攻撃に反撃する「第二撃力」を確保し、対米核抑止力を高めんとしている。

その一環として、中国は、西沙諸島ウッディー島に地対空ミサイルを配備し、着々と軍事基地化を進めている。

日米と中国の間で、お互いに発動している「コスト強要戦略」(平時のライバル国にコストを強要する戦略)において、中国は、日本の安全保障体制の不備を突き、“効率良く”軍事的圧力を日米両国にかけている。

中国軍の第一次列島ラインへのAT(アクセス阻止)と、第二次列島ライン内におけるAD(領域拒否)に対抗するように、2012年1月、オバマ政権下の統合参謀本部議長が「統合作戦アクセス構想(JOAC)」を発表した。

その構想は、陸海空軍に加え、宇宙軍、サイバー軍に加え、他国の軍隊(自衛隊も含まれる)との「柔軟」な統合を目指すものである。

習近平の野心は東アジアの秩序を揺るがす、そのリスクから、日本は逃れることはできない。

対中戦略としてのTPP

TPPは、中国の国営企業を駆使する重商主義的「国家資本主義」に対する米国の経済戦略である。米国系多国籍企業と巨大金融機関は、WTOのGTS(サービス貿易に関する一般協定)を駆使して、サービス分野(2兆ドルの教育市場、3兆ドルの保険市場など)の「全面開放」を各国に迫ったが、頓挫した。

起死回生を狙う米国は、TPPにその役割を見出し、日本のサービス分野(金融・情報・知的所有権等)の全面開放を実現し、日本市場を「掌握」して、中国に対抗しようとしている。

その経済戦略を支えるイデオロギーが、民間経済への公的介入を阻止し、国民国家を超える「新自由主義経済社会」をグローバルに展開しようとする経済思想である。

よって、TPPは、WTOそして FTAを遥かに凌駕する「急進的な貿易自由化」を進めるものであり、知的財産、金融そして政府調達なども対象とする「包括性」が特色である。

そして、新自由主義思想は「自由」と「安全」を秤にかけると、「自由」に傾くものであり、新自由主義経済思想に基づくメガ FTA(TPPなど)において、人間安全保障、食料安全保障そしてエネルギー安全保障への配慮が欠けるのは、その本質から頷ける。

しかし、TPPがグローバル企業へ自由な経済活動を与える替わりに、健康な生活を損ねるようなリスクを国民に背負わせることは許されない。

ドル基軸体制への中国の挑戦

米国は、米国債を使った「ドル還流システム」を巧みに機能させ、米国経済を世界最大規模に維持し、米国パワーを支えてきた。 

しかし、そのような「古き良き時代」は過ぎ去りつつあり、通貨・金融の多極化への流れに逆らうドルの抵抗も限界が見え始めている。

その流れの中、昨年の8月11日から13日までの3日間で、中国人民銀行は人民元を4.7%切り下げ、人民元をドルペグから離脱させる中国の意志を示した。

             

米の同盟国たる英国も、AIIBへの参加に象徴されるように、ドル基軸体制に囚われず、人民元への積極的関与を進めつつある。

英国が誇るロンドン金融市場は、既にオフショアでの人民元のスポット取引の約70%を担っている。また、中国は交易における決済の25.7%において人民元を使っており、「一帯一路」のユーラシア・インフラプロジェクトによる人民元の流通拡大の流れに、英国は乗ったわけである。 

このままだと、日本はEUと積極的に金融・交易の連携を進める中国の後塵を拝することになる。EUそしてユーラシア経済共同体を目指す「一帯一路」が手を携えると、TPP(実質的には日米EPA)にとって、非常に手強い相手となり、日米諸共、ユーラシアにおける影響力を削がれるリスクが高まる。 

 

習近平のリスク

中国は、経済の高度成長から新常態(ニューノーマル)の安定経済成長に舵を切ろうとしている。しかし、「世界の工場」路線をサービス産業(第三次産業)の拡大そして消費社会化への道を切り替えようとすることは、習近平政権にとって、かなりのリスクテイクである。

中国の「工業社会」から「情報化・消費化社会」へのシフトは、中心的価値観(社会主義思想)が相対化され、中国大衆が、それぞれの価値観や生き方を大事にする動きを生み出す。

消費社会化が進むと、規律訓練権力(国家に奉仕するように、国民を規律訓練する力)により、共産党に従ってきた中国大衆は、自律性を高め、現体制への服従から脱し、先進国の新興中産階級に見られる内在性の権力である自らの潜在能力を極限まで開花させる力)に目覚める。

また、中国政府が進めようとしている「大衆創業、万衆創新」(大衆の起業とイノベーションの促進)は、中国大衆の自立への意欲に火を点けるようなものである。

 

このように、中国社会の消費者社会へのシフトは、共産党独裁を揺るがすリスクを孕んでおり、習政権は、その戦略的視野に政治改革、民主化を置かざるを得なくなる。

日本のなすべきこと

日米にとっての最大のリスクは、欧州と中国の連携により、ユーラシアへの関与を妨げられることである。

米国をアジア・太平洋に繋ぎとめておく役割は日本が担うしかない。例えば、米国を、日本経由、アジア・ユーラシアに繋ぎとめておくためにも、日本はAIIBに参画し、積極的にアジア・インフラプロジェクトに関与していくべきである。

新自由主義経済思想に拠るTPPは、中国の国家資本主義へ対抗するものであり、中国はTPPに与するわけにはいかない。よって、中国が政治改革を視野に置いた場合、社会民主主義思想による欧州の方が、中国にとって付き合いやすくなる。

OECDのフェデリコ・シンガロ氏が「所得格差が経済成長率を抑制している。税制や社会保障政策によって格差を是正することは、適切な政策設計をすれば成長を阻害しない」との考えを公表した。

少数の超富裕層と大多数の低所得者層に分裂した米国、その「裂け目」から現れたのが、トランプ共和党大統領候補、民主党大統領候補のサンダースである。

ヒラリー・クリントン候補あるいはトランプ候補が次期大統領になろうが、この国家的裂け目を修復しない限り、米国の社会と経済は脆弱になり、中国に漁夫の利を与える。

クリントン候補の言うことが、民主社会主義者のサンダース候補の「選挙公約」にに似てきたのは、米国民が、前述のシンガロ氏のような考えに「経済合理性と正当性」を見出していることを反映している。

このように、反新自由主義経済思想が、世界の潮流となりつつある中、民主社会主義を共通理念とした欧州と民主化した中国の連携が、ユーラシア地域共同体を生みだす可能性も「夢物語」ではない。

金融を梃とした新自由主義的経済競争は、環境破壊、資産・所得の差拡大(富の偏在)による社会の不安定化などの問題を生み出してしまった。

自由主義的経済システムに囚われたままの日米では、民主社会主義を共通理念とした中国と欧州の連携に、太刀打ちできなくなる。

日本は、もともとは社会的な存在である企業を、傲慢な資本の論理から切り離すように、政治、経済そして文化伝統を包摂する倫理的な存在である国家共同体に取り込み、企業と社会の共生を生み出し、資本主義経済社会の中に公共制を根付かせ、米国の範になるべきである。

インドは、アジアでは中国と対峙するが、ユーラシアでは、昨年、中国主導の上海協力機構にインドが加盟したことに象徴されるように協力関係にある。

欧州と中国の連携にインドが取り込まれると、日米のユーラシアにおける影響力は一挙に衰える。グローバルな展開と関与能力を維持している米国、豊かな労働力と巨大な潜在規模の市場を誇る世界最大の民主主義国家インド、そして共生の理念を持ち、技術力と世界最大の対外純資産を有する日本の三カ国がトライアングルを組む事により、アジア・太平洋・インド洋の平和と安定の構築を主導すべきである。

日本のなすべきことは多い。

雑誌「財界」(平成28年6月7日号掲載)

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