憲法第9条改正と日本の安全保障

photo:鈴木壮治シンクタンク一橋総研 代表
                一般社団法人一橋総合安全保障研究所 理事長
鈴木 壮治


憲法施行70年の節目の5月3日に、安倍首相は「憲法9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むことは、国民的な議論に値する」と述べ、2020年にその施行を目指すとし、憲法改正に向けアクセルを踏み込んだ。

朝日新聞5月4日の社説「憲法70年 9条の理想を使いこなす」の中で、「自衛隊はあくまでも防衛に徹する【盾】となり、強力な打撃力を持つ米軍が【鉾】の役割を果たす。この役割分担こそ、9条を生かす政治の知恵だ」として、「時に単独行動に走ろうとする米国と適切な距離を保ち、協調を促すため、日本が9条を持つ意義が大きい」としている。

その安倍首相と朝日新聞の「やり取り」で欠けているのは、安全保障に対する総合的視野と基本的人権と繋がる人間安全保障の視点である。

世界のグローバル化が進み、主権国家同士の鬩ぎ合いも厳しさを強めつつあり、国際交渉のテーマは多岐に渡っている。また、地球温暖化などの地球環境の劣化、インフルエンザの蔓延、グローバルテロ、核拡散そして金融問題もグローバル規模の拡がりを持ち、各国そして市民・国民の安全を脅かしている。

それらは一国だけでは解決できず、諸国間の協力的な安全保障の枠組みが必要である。東日本大震災・福島原発事故で、百四十三もの国と地域から、日本への支援の申し出があった。このような各国の動きは、非軍事分野における安全保障の国際的な協力の輪が広がる可能性を秘めていた。

総合安全保障の定義は画一されたものがないが、通常「軍事的な安全保障だけではなく、より広く、経済など他の分野も安全保障の対象として捉え、それらの包括的な安全保障の目的を実現するにあたって、軍事的な要素を最小限に抑え、非軍事的な要素を最大限に活用するという政策原理」と定義されている。

しかし、初めから軍事分野への支出を極力縮小すると決めてかかるのではなく、権限・予算・労力の軍事と非軍事分野への分与は安全保障環境に応じて、包括的かつ柔軟にタイムリーに行うべきである。

総合安全保障の理念に基づいた戦略があれば、日本の種子を守ってきた「種子法廃止法案」を衆院農林水産委員会が通し、4月14日に参院で可決・成立させてしまうようなことはなかったと思う。主食用作物の種子を外国に依存することは食糧安全保障リスクそのものである。

日本が国際的な安全保障の協力の輪を広げるためにも、まず日本の国益を守る総合的安全保障体制構築が急務である。


<リスク社会に適応する憲法>

現代は、人々が多種多様なリスク(将来の不確定な損失)に晒されているリスク社会である。国民をリスクの脅威から守るため、行政が民間の「自由空間」に介入することが増え、その結果、行政の強大化が進んでいる。テロ行為から国民を守るために、「自由空間」における諸々のコミュニケーションを行政が監視することなどが、その一例である。

行政の強大化により、「自由空間」における国民の自由度の減少と、国民の安全・安心の維持とのバランスをどのように折り合いをつけるべきか。それは、憲法の統治構造をどうすべきという我々への問いでもある。

憲法の統治構造には、専制などの権力乱用のリスクを事前に防ぐ「予防的立憲主義」(当初から、リスクを特定し、その防御策をとっておく)と政府の効率的運営と権力濫用のバランスを目指す「最適化立憲主義」があるが、行政がダイナミックなリスク対応を行うためには「最適化立憲主義」が望ましいと考えられている。

政治は国家、国民の安全・安心を第一義と考える。よって、行政権力を担う政府が、その志向性により憲法(例えば、憲法第9条)解釈を行うことに理解を示すのが「行政立憲主義」である。

憲法構造を変える憲法変遷とそれに至らない程度の憲法変化がある。日本の軍事的危機が迫ってきた場合、憲法改正が間に合わない場合は、憲法の変化、変遷で対応すべきである。

日本では、自衛権の憲法解釈には「自己規制枠」があったが、安倍政権の集団的自衛権行使容認(憲法変化)により、自衛権に関する憲法変化を超える憲法変遷が生まれる環境が整った。

憲法変遷を唱えるブルース・アッカーマン教授(エール大学)は、民主政を通常政治と高次法が形成される憲法政治とに分けることを提唱している。通常政治の場合、憲法修正が提起された際に、政治部門が憲法実践の変革を行い、国民的議論の上、国民がそれを承認し、司法もそれを認めるというプロセスを経て、憲法変遷を認める見解である。

「最適化立憲主義」の場合、行政が当該リスクへの自らの対応の法的正当性を憲法に求めるため、それへの憲法の備えが必要となる。例えば、監視の法的正当性が担保されるためには、行政による国民に対する監視の目的とその限界(例えば、最低限の人権保障)を、憲法秩序(合理的かつ安定した諸制度とその決定を導く原理)に、予め組み込んで置く必要がある。

5月23日に「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が衆院本会議で賛成多数で可決された。同改正案が行政による国民監視を強めるのではないかとの危惧を、国民は抱いている。それに対抗するためのプライバシー権は、憲法上の保護が認められるべき権利とはされている。しかし、日本国憲法にプライバシー権は記載されておらず、その保護のためには、どの条文を基礎とするものと位置づけるべきかが議論が必要となる。憲法を改正して、プライバシー権、環境権などの新たな人権を加えるべきである。

そうすることにより、当該行政決定と関連法令の憲法適合性を判断する司法と立法(議会)の役割が重要性を増す。その結果、行政による憲法価値実現を肯定的に捉えるが、司法そして立法が必要に応じて、それを御して、憲法秩序を形成する「行政立憲主義」への道が切り拓かれる。それは、権力を縛るのが立憲主義とする考えに、かなりの柔軟性を与えるものである。

憲法第二十五条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2.国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければいけない。」としている。

同条項に基づき、行政は、国民に対し、社会福祉、環境保護、伝染病対策、医療などの分野において、諸々の行政サービスを提供している。場合によっては、憲法による明確な保障対象ではないケースでも、法律によって保護せざるを得ない場合も生じている。

新自由主義経済における企業間の競争は苛烈であり、企業が消費者への配慮を欠くケースも増えつつある。例えば、子宮頸がんワクチンが神経障害を引き起こすリスクが問題になり、薬の有害作用に関する情報が遮断、隠蔽そして歪曲されているとの疑義が広まった。

政府を動かして、リスクヘッジに役に立つ法制化を実現するためには、消費者の運動が有効である。例えば、米国ではこの数年、各地で遺伝子組換え食品反対を掲げる消費者団体の活動が繰り広げられてきた。そして「消費者の知る権利」を主張して、表示を求める米国市民の声が高まり、いくつかの州で独自の法律が定められた。中でも積極的に進めてきたのがバーモント州で、2016年7月1日にGM義務表示法Act 120を発効させた。

巨大多国籍企業がその社会的権力を強めており、その「権力」から、個人としての国民がどのように自由、人権を守るべきか(社会的権力からの自由の確保)が大事なテーマになっている。その場合、「私人間効力」(憲法を私人間において直接に適用。また、そのような適用が許されるか否かという論点を意味する場合もある)により、憲法の人権規定をストレートに巨大企業に適用するには抵抗がある。

法律は、憲法外の権利保障を行うだけではなく、憲法が介入できない私人間の権利利益に関する問題を調整できる力を持っている。例えば、米国のFDA(食品医薬品局)が、喫煙による健康リスクに対する警告のために、タバコのパッケージに喫煙を嫌悪するような絵をつけるようにタバコメーカーに要求したことは、その一例である。

私益追求の企業がリスクをまき散らさないように、憲法の人権規定の趣旨を具体化する法律を新たに施行させるか、あるいは私人間の関係を規律するための既存の法律の規定を通じて、企業活動を抑制する方法があることを、国民・市民は忘れてはいけない。


<憲法の安全保障理念としての国民国家安全保障>

国民は、厳しい地政学的軍事リスクと食、環境、健康分野などに於ける平時のリスクに晒されている。よって、緊急時と平時の両方における安全保障が必要である。

緊急時安全保障と平時安全保障を分けると、どうしても緊急時に、権力が突出する恐れがある。緊急事態における権力服従義務はその例である。「緊急事態を口実に基本的人権を制限したいがゆえに、この緊急事態条項を憲法に潜り込ませたとの疑義」を払拭するために、自民党は、その「日本国憲法改正草案・第9章緊急事態」中の第九十九条の3で「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」としている。

人権と密接に関係するのが人間の安全保障である。2012年4月の国連総長による「人間安全保障報告書」の概要は下記の通りである。

  • 紛争、自然災害、貧困などの脅威の多様化が指摘され、「恐怖からの自由」、「欠乏からの自由」、 「尊厳を持って生きる自由」が人間安全保障の要素。
  • 人間安全保障と国家安全保障は代替の関係になく、相互依存・相互補完の関係にある。

緊急時においても、基本的人権に関する規定を最大限に尊重するとするならば、それを担保する明快な理念を憲法に加えるべきである。人間を中心とした人間安全保障は、基本的人権を包括する力を持っている。それに加えて、人間安全保障は国を超えたリスク、例えば、感染病の蔓延、食品・農作物の安全性、環境悪化、金融・通貨変動などから、人々(市民、国民)を守る力も持っている。

それらのグローバルリスクは一国だけでは解決できず、諸国間の協力的な安全保障の枠組みが必要である。国家を安全保障の主体であり、客体とする国家安全保障だけでは、グローバルリスクに対応できない。その国家安全保障の限界を補うのが人間安全保障である。

軍事(伝統的)安全保障と非軍事(非統的)安全保障の対象は多様であり、総合的安全保障の視野の下、国家安全保障と人間安全保障を融合させる国民国家安全保障の理念を憲法価値とすべきである。

自民党は、その国家安全保障基本法案の第4条(国民の債務)で「国民は、国の安全保障施策に協力し、我が国の安全保障の確保に寄与し、もって平和で安定した国際社会の実現に努めるものとする」としている。

国の安全保障施策が、総合的な視野の下、国家安全保障と人間安全保障の相互依存により具体化するものであれば、国民は責務として自国の安全保障の確保に取り組むという受け身の姿勢ではなく、より積極的かつ能動的に安全保障に取り組むと思う。

国家が緊急時に憲法を無視することは、あくまでも人権を守るためであることを、国民に理解してもらうためにも、諸々の人権に通底する人間安全保障の理念を入れておくべきである。また、憲法で、自衛隊を明確に軍として認め、軍に禁じられている行為(Negative List)、例えば、化学兵器・生物兵器などの使用、民間人を殺傷するなど以外のすべては、必要であれば実行できる権能を持てるようにしておかないと、緊急時の政府指揮下で、自衛隊が人権を守ることに支障を来す恐れがある。

国家緊急権を、憲法を超えるものとして捉えるか、あるいは憲法内の権利とするかの議論がある。国家の緊急時という憲法の秩序が崩壊した状態において発動する権利の本質から、憲法を超えざるを得ないと考える。

但し、国家緊急権が拠って立つ理念と緊急事態の宣言、宣言解除、政府の権限そして人権重視等を憲法で決めて置くべきと考える。

グローバル巨大企業による経済活動が、国家安全保障の対象(エネルギー、食糧、技術など)を損なう場合、また、人間安全保障の対象である個人の生存、健康などを損ねる場合は、国民国家安全保障の理念と憲法価値(個人の尊厳)を具体化する法律、すなわち、緊急時と平時における政府と行政の対応とその有効期限を具体的に決めた国民国家安全保障基本法の施行が望まれる。

以上の志向性で、下記の自民党「日本国憲法改正草案」に対して、第二章・安全保障を考えてみたい。



第二章 安全保障
(平和主義)
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段として用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
(国防軍)
第9条の二
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国家の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は,第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるとこりにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及
  び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところによ り、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
(領土等の保全等)
第9条の三
国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

上記の自民党案の第二章・安全保障における第9条の平和主義の記述は問題無いと考える。但し、第9条の二(国防軍)の条項はそのままにするが、その前の憲法第9条・2の「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」を下記の通りにしたい。

「国家安全保障と人間安全保障が相互依存関係にある国民国家安全保障を理念とする安全保障の目的は、軍事及びエネルギー、食糧、金融・為替などの市場変動、サイバー分野等における脅威より、人間安全保障の客体としての国民そして国家の主権と平和を、国民共同体としての国家が守ることである。」。


<まとめ>

中央公論5月号の「日本国憲法の特異な構造が改憲を必要としてこなかった」で、東京大学社会科学研究所准教授のケネス・盛・マッケルウェイン氏が、下記のように、鋭く憲法の問題点を指摘している。

  • 日本国憲法は記述が短く(日本国憲法よりも短い憲法を持つ国はモナコなどの2,3カ国)、大半が人権に関するものであり、統治に関するものが「大雑把」に定められている。
  • 他国の憲法では、選挙・地方自治制度などを具体的に取り決めているが、日本国憲法では「法律でこれを定める」とされており、改憲せずに法改正で対応してきた。
  • 憲法は権力者が守るべきものして制定され、多くの法律は国民が守るべきことを定めている。よって、法律を定める国会議員を選ぶ選挙のルールを、殆ど法律で決めるのは問題である。

マッケルウェイン氏の分析によると、我が国の憲法はかなり柔軟な対応を許しており、それによって、戦後70年間、日本は何とか憲法をいじらずに国の平和と経済的な安定を保ってきたと言える。

キース・ウィッティトン教授(プリンストン大学)は、政治(政治・行政権力)の憲法解釈及び憲法実施を憲法構築とし、選挙の洗礼を受けた政治は司法より民主的正当性が高いので、司法よりも憲法の価値を柔軟に捉え、行動できると考える。つまり、政治の方が、時代状況に合った憲法価値の実現を柔軟に行うことができるとする。戦後70年の大半は「現実路線」の自民党が政権を担い、ウィッティトン教授の言うことを体現してきた。

馬の目を抜く資本主義社会は、経済的自由のSpeedyな活用のために、政治のダイナミックな瞬発力を必要とし、行政権力が強化された。例えば、行政府が重要法案を提出し、予算提出権、条約締結そして外交権限などを独占している。そして、そのような行政国家である日本が、安倍政権の下、安全保障国家(Security State)に舵を切り始めた。

キャス・サンスティン教授(ハーバード大学)は行政国家化が社会福祉国家化に傾き、進めたニューディールは憲法体制を大幅に変更しており、憲法修正が行われたと同様の効果をもたらしたと指摘。これまでは憲法価値の実現という場面では、日陰の存在であった行政が前面に出るようになり、そうした機能を担うことになったので、その行政国家への転換が憲法構造を揺るがした。

ニューディールによるルーズベルト大統領が進めた行政国家化・福祉サービスの充実・安全な社会の形成・平等な社会の実現・行政が主導して新たな形の人権保障の仕組みを創った。新たに提唱した権利を「第2の権利章典」という言葉で表した。・経済の安定・社会福祉・労働者保護・食糧の安定・社会経済および社会福祉政策が実行された。行政が憲法価値を提示し、かつ主導的にその実現を行った。

前述のように、憲法の統治構造として、政府の効率的運営と権力濫用のバランスを目指す「最適化立憲主義」がある。「最適化立憲主義」の場合、安全保障国家における行政権力は、リスクへの自らの対応の法的正当性を憲法に求める。

行政権力の突出を防ぐためには、安全保障の対象を軍事分野に絞り込むのではなく、食糧、エネルギー、環境などの非軍事分野も包摂するものにすべきである。また、温暖化などの環境破壊、自然災害、貧困、感染症、保健衛生、食などの脅威は基本的人権を損ねる可能性があり、人間安全保障(「恐怖からの自由」・「欠乏からの自由」・「尊厳を持って生きる自由」)の対象と捉え、国家安全保障との連携を考えるべきである。

それこそが、日本の真の独立と安全保障を確かなものとする憲法改正である。

月刊セキュリティ研究224号(平成29年6月25日号)掲載

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